涙腺

ブログを設立してから、早二ヶ月が経ちました。

前回の黒歴史(言うまでもなく七色の大図書館のことです)は、ありがたいことに皆さんに大人気で、ツイッターのタイムラインを見ると、いつの間にか著者の僕以上に他の人が七色の大図書館の名言を飛び交わす、ブログをやっていたときの僕が見たら泣いて喜ぶような素晴らしい環境になっていました!とても嬉しいです!

そんなブログが出来て早七年、せっかくだから大学時代の黒歴史を残して、将来見返して同じムーブメントを残して同窓会で披露したろ!という思いではじめたこのブログですが、持ち前の飽き性を遺憾なく発揮し、いきなり更新終了となるところでした。しかしやっと今日、ひとつ目の黒歴史を世に残せそうです。よかった。

 

 

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最近、本当に涙腺がゆるくなったなぁと感じます。昔は今と違って、泣くことは殆ど、というより全くといっていいほど無くて、小さい頃に泣いたのは小学校の時母親が怒って「もうこの家出てく!これが最後のご飯じゃ!」と言いながら出したオムライスを食べてる時くらいで、あの時はもう明日からは一人で行きていくんだと言う将来の不安と母親に会えなくなる悲しさでもう嗚咽しながら食べた記憶があります。未だにそのオムライスの味と目の前の切れてる母、薄暗いリビングの光景は脳裏にしっかり焼き付いています。

でも本当にそれくらいで、何か見ても無くことはまったくなくて、むしろドラマを見て泣いてる母親や、感動ものを見て毎度のように泣いている柴田理恵徳光和夫をみて、「なんでこんなに泣いているのだろう」と思う始末。それが今では、TVの感動エピソードを見るたびに号泣、はじめてのおつかいで子供が泣きながら頑張ってる姿を見て涙を流し、友達の話に感動しすぎて嗚咽、友達にうるさいからどっかいけと言われたこともありました。自分が好きな漫画の最終巻は泣きすぎるからめったに読めなくて、「アイドルマスター」というゲームで自分が担当を務めるキャラがライブに初出演した時には、もう一時間くらい泣きっぱなしで。挙句の果てにはM-1等の賞レースでもらい泣き、自分の応援しているマリーンズが将来優勝した瞬間を想像しただけで泣きそうになるなど、現実では無いことでも泣いてしまうように。完全に”泣きキャラ”としての地位を確立してしまいました。

 

 

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1週間ほど前、大学の友人が、演劇部の卒業公演を行うということで、見に来ないかというお誘いを受けました。前々から別の公演のお誘いは何回も受けていたのですが、中々タイミングが合わないのと、長い時間座って何かを見ることが余り得意で無いこと、”劇”と言うものを生で見たことが生まれて一度も無いことも重なり、結局卒業公演まで彼の公演を見ることはありませんでした。でも、仲のいい友人のいわば晴れ舞台はやっぱり見たくて、大学四年目にして初めて劇を見にいくことに。

結論から言うと、死ぬほど感動しました。始まる前に、「ー今回の公演は休憩なしの二時間二十分を予定していますー」というアナウンスを聞き、正直、長いなぁ結構とか思ったりしちゃって、これは中弛みしちゃいそうだなぁ(今は全然思わないです。ほんとごめんなさい)とか、本当に失礼な感情を抱きながら、劇が始まりました。しかし実際始まってみると、まず内容に惹き込まれ、演者の本気の演技に惹き込まれ、「えっ、もう2時間経ってるの!?」みたいな、開演前の不安を忘れてしまうような、ものすごい劇で。いやこれすげぇわほんと、って思いながら、ものすごく楽しい劇を見させてもらいました。

劇自体もすごく感動できるようなシナリオで、勿論その部分もすごく感動したんですけど、劇が終わりに差し掛かってると、もう皆が楽しくやってる姿とか、全力で自分の感情を演技に昇華させるその姿を見るたびに、これ卒業公演なんだよな......とか、特にそのステージが千秋楽というのもあって、もう気づいたら涙腺がだめで、頭のなかでいやこれ喋ったらもうすぐ泣くわ、もうだめだこれやばいとか考え始めちゃって、ダムに例えたら決壊寸前のような、本当に何かあったら泣いてしまうようなテンションのまま、劇は終わりました。顔を合わせたらすぐに泣いてしまうのが自分でもわかりきっていたのでもう一目散に劇場を後にしたかったのですが、演者面会があるとのことで逃げられずに挨拶へ。顔を見た瞬間にダム決壊。もう一言も話せないくらい号泣しちゃって、そのまま感想を伝えることの無いまま劇場を後に。最寄り駅につくまで涙は全く収まらず、もう鼻水は止まらないわ目は真っ赤だわ、出てくる言葉は「よかった」「泣いた」の2つだけだわで、自分でも笑えるくらい感情がグシャグシャになりました。一緒に見に行った友達に心配されるその様は、さながらプレーオフズレータカブレラに連れられ退場する斉藤和巳の様な光景でした(野球好きなんですぐ野球に例えます)。

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 劇を観終わって駅に向かってる途中、話題はボロボロになった自分の話になり、一緒に観に行った友人に「感情表現が無茶苦茶豊かだね」と言われました。その言葉を聞いて、どこか胸に残る感じがしました。勿論、あの場で泣いてたのは僕だけだったし、友人は一人を除いて「なんでそんなに泣いてるの」みたいな感じのテンションだったし、なによりあの泣き方は自分でも間違いなく感情豊か人間に分類されるんだろうと思います。でもそこじゃなくて、「僕昔からこんなに泣くキャラじゃ無かったよなぁ」とか、「感情豊かってどのラインからなんだろう」とか、そんなことを朧気に、その後行ったカラオケボックスの中で考えていました。

帰宅後、寝る前に、前述した疑問を考えました。でも、その時は結局答えは出なくて、それよりも泣いたことで体力が0になって、気づいたら携帯を握りしめたまま泥のように眠りに落ちました。泣くってめちゃくちゃ体力を使いますねほんと......。

結局、「涙腺 脆くなる」というクソみたいなワードで検索した結果、要約すると「経験が積み重なって感受できる事が増えたから」みたいな記事が。うわーーー!!なるほど!!って一人で納得してしまいました。

小、中学生の頃は全然感動しなかったことも、卒業や別れ、出会いとか色々な経験をしてきた結果がこれなんだなーって、壊滅した語彙力で表すと「わかるそれな」に集約されるんだなって思って、その記事を「それななんだよな」って思いながら読んでました。語彙力付けたいなほんとに。

 

 

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気づいたら今年24歳になるんですよね。はやいわぁホント。でも、人生色々な事が経験できて、その結果がこの泣きキャラなんだから、感情豊かなのめっちゃいいじゃん!いやめっちゃ人生楽しんでるなーって思うようになりました。これからも色んな事経験して、泣いて笑って出来るようになりたいなと思いました。今年1年も楽しみだなぁ...。

一つだけ心配なのは、これ以上涙腺緩んだら友達の中で徳光と柴田を越す泣きキャラになってしまうんじゃないか。そこだけヒヤヒヤしています。

 

ー泣いたことは別にして、普通に面白かったので、劇が終わった後、早速面白そうな劇を探し始めました。今度一人でいって、また泣いてこうと思います。ライオンキングとかもいいなぁ。そして、近くの子供に「なんでこのおじさんこんなに泣いているのだろう」って思われてきます。